26 Double Trouble
この二枚は説明のしようもないのだけれど、何故こうなったのかは聞いてみたい。


エルビスのはこういうデザインが出来る様になった象徴的なデザインだ。レタリング時代(タイトルは手描き文字)の1956年なのだが、デザインの歴史を知る者として、画期的な時期と思う。ライブ写真を使うのも、思い切っているし、文字組も当時の先端というか大胆なデザインを表すには、個性的なデザイナーだったに違いない。とにかく、メーカーも「勝負」とばかり力が入ってる。
一方、クラッシュだけど、ライブ写真にどういうデザインかで考えた揚げ句、ジャケット通の誰かが50年代リバイバルの時代性もあり、安易というか決意というか、コンセプトの時代の後押しもあって、決まった様な,気がする。全て推測です。ま、当たっているだろうけど。
クラッシュは好きじゃないのだが、「London Calling」は名曲だけど、ロックじゃなくてポップ過ぎてるなあ、と思ってる世代なので、ジャケットも都合が良過ぎて「若いヤツはダマせても」という感じで感心しない、というのが本音です。といってもコレも35年以上も前のジャケットです。
くどいですが、パロディはクラシックにはなれない、というのはボクの心情でもあります。

25_Cream

1966年に出たのがファーストで「Fresh Cream」なのだが、そもそもこのバンドは、今考えれば業界的っぽいなあ。先ずロバート・スティグウッド制作で、タイトルからして俗に言う「プロデューサー仕事っぽい」感じだ。真意を調べるつもりもないし興味もないのだが、当時のミュージシャンの「行き場」の典型の象徴なような気がしてならない。

国別にデザインが違うのは少ない方か?

上がスカンジナビアン盤で、下がUS盤だが、CDも同レイアウトだった。


このバンドのジャケットは、いい加減なのが魅力かな。「蛮カラ」なのであるな。当時、威張ってた&生意気な「ハイカラ」に対する反モダニズムという意味では横尾さんのデザインに通ずる。実際、横尾さんも話題のバンドを見たいと、ロンドンだかニューヨークだかに行ったそうだ。(すんません!一寸偉そうでした)

数枚のアルバムで解散も、続けるための「経済的な事情」よりも「やりたい放題がベスト」を地でいった、って事がやっと理解出来て好きになったバンドなんだなあ。クラプトンもようやく「良さ」がわかりかけて来た。
音楽って面倒な部分あるよなあ、でした。


これも忘れちゃいけないし。

これもだ。
枚数少ないからなあ。

わたくし的に好きな曲は「Out Side Woman」みたいな、「とっぽい」曲だ。

最初にこのバンドに偏見を持つ様になったキッカケを思い出した。NHKで放送した「ヤング・ミュージック・ショー」だ。ライブなのに、3人の顔のアップばかりの映像で、気持ち悪くなった。この体験が後の雑誌作りにある種の「フラッシュバック」かもしれない。

24_Russell Mills

ラッセル・ミルズはロンドンのアーティスト。WIREのブルース・ギルバートとグラハム・ルイスとの交流は知られていて、と言っても80年代アンダーグランドに興味ある人限定か。彼らと制作したアルバムはボクも82年にロンドンから戻った絵描きの友人から、音も制作していると、聴かせてもらって知った。


その友人から「コクトー・ツインズ」とも交流があった。とは意外な様だが狭いロンドン。やっぱりそうだよなあ。でも、それより彼を有名にしたのはBrian Enoのカバーじゃないかな。イーノの弟のロジャーのジャケットも印象的だった。

それから、Japan、デイヴィッド・シルビアン関連じゃないかしら。普遍的で強そうだけど、一瞬で壊れそうな繊細な画面。一度ラッセルに会いましたが、絵の様な人だった記憶があります。(絵の様じゃわかんねえよ)絵の様に繊細な方だった、だね。


最近はこういう絵を描いているらしい。強く刺激的な人物を描いていてちょっと驚いた。絵というのはある種の本質を露出してしまうようだから、これも彼の一部なのだと思う。

23_Ginger Baker
あのCreamのあのドラマーは、イメージ的には「鳥」。言葉が通じない、あの「鳥のような目」のお方。
その昔、四国でのライブで観光を案内した知り合いが間近でみた「ジンジャーは鳥みたいに怖かった。」と言っていた。(笑)

新作もすごい目力(めりき)だぞ。吸い込まれそうだが、先にはナニが?

ビル・フリゼールとのセッションは名盤だ。完璧にドタドタするドラムは日本人じゃあ先ず無理だ。

Cream直後でアフリカ音楽の間にフェラ・クティーとのセッション。ジンジャーを紹介するフェラが田舎の村長みたいだ。


大竹シンロー君のジャケットも最高なこの2枚も、最近良く聴いてます。

これは聴いた事ないなあ。不安だけど、Creamの中で音楽的センスは抜きん出ているジンジャーだから外れるなら「入歯」か。

これも好きです。

一応言っておくと、CreamはEricとJackとGingerの3匹の侍です。この3匹が音楽的にもっと磨けば面白かったのにい。 

22_Vaughan Oliver

ヴォーン・オリヴァーは同世代の英国グラフィッカー。前は「23エンヴェロップ」というチーム組んでいたけど、その頃の作品はグローバルになる前でイギリスっぽくてロンドンっぽくて良いなあ。耽美派で知られるグラフィッカーも以前はシュールリアリストだったんだなあ。1981年のこれなどは顕著だ。

同じ頃のコクトーツインズのアルバム。ミュージシャンが惚れるグラフィック制作者て、日本と英国では随分と違う。「人柄より作るモノ」って言うらしいですよ。

コレとかは、随分とイタリアンなテースト。1984年作。

1987年にもこんな感じも作ってた。ヨーロッパの辺境さも感じたりして。

21_Stevie Wonder
ティーヴィーと言えばワンダー。地球の音楽のシンボル的存在だ。人間を宇宙に連れていくならスティーヴィーでしょ?マイケルもきっと彼には敵わないと思った時期があって頑張ったとワタクシ的には確信している。それほどの天才。歌は個性的だし(昔は下手と言われたが)、シンセをソウル的有機的に使ったパイオニアだし、作曲家としては卓越しているし、ハーモニカもドラムもすっごいし、動物的だし。
でも、その彼もズッと凄いというより、やっぱり正直に言うと、70年代が圧倒的に凄い。なので、今回はこれ以上は説明なし。ジャケットだけを並べてこれは解決だ!

このアルバムで、それまでのリトル・スティーヴィーが大人のミュージシャンになった、って感じだったなあ。22才。

このアルバムで、ぶっ飛んだ。

植物をテーマに2枚組っていうのも他の追随を許さないって感じが出て来た。

このアルバムなんかはドレット(ヘアスタイル)だ。教祖の佇まい。30才。

でも、やっぱんこのアルバムの編集は凄かったなあ。曲のつなぎやミックスになんか世界を圧倒するパワーがあったね。

80年代後半になると貫禄がつき過ぎた感あり。良い曲もあるけど、アルバムとしての完成度はやや漫然として来た。
どのくらい天才かというと、曲作りを辞めたらすぐに「頭が腫れた」という噂が流れた事があったなあ。何かの病気だったのかもしれないが、それを「頭にアイデアが湧いて仕方なくて膨れて腫れた」とイメージ出来そうなところが天才の証なのだ。
2015.5.21

20_Yutaka Sakano
先月、坂野豊さんの写真展のお手伝いをした。その時、本当に久しぶりに沢山写真を見せてもらったので、坂野さんと制作したジャケットをチョイス。


最初は「冨田靖子」さん。まだ完全アナログの時代で、7インチシングル、12インチアルバム、それにツアーパンフレット。テレビ番組が絡んでいて、スタジオで時代劇の撮影もやったなあ。図版はポスター第一弾。スタイリストMichiru Abeさん/制作プロデュースShigeo Gotoさん。


1995年東芝EMIでからデビューしたSOON。SOONはデビューから関わっていて、ボクが主催したイベントにも度々出演してもらっていた。それまでにSOONの撮影してくれたカメラマンは、佐藤奈々子さん、小木曽威夫さん、ホンマタカシさん、ブルース・オズボーンさんなど。このジャケット写真は、九十九里のハウススタジオで撮影。スタイリングはAtsushi Ohkuboさん。


1996年作。ジャズピアニストYoshiko Kishinoさん。メーカーはビクター。写真から醸し出される雰囲気に宮廷画家の趣がある。きっと坂野さんの先祖はボクと大違いで公家とかなんじゃないか?って思ってた。時間の停め方が決定的にボクとは違うのを撮影で感じてた。


1997年作。Minako Obataさんもビクターでジャズ系の歌い手。この時のスタッフはメイクがTomita Satoさん。広告撮影みたいだった90年代音楽制作の時代もこの辺りから一気に減少した。寡黙な坂野さんは言葉以上の何かを発する人。たぶん。


80年代には、こういう広告も一緒に作った。これはドイツのCANのジャケットか何かで見た「アクリルミラーを使ったモデル撮影」。スタイリングはKimie Hataさん。服はTokio Kumagaiだった。この広告サイズでは服がトリミングされてしまったけど、もう少し縦長の雑誌だと、襟に付いている番号で写真が鏡に写っているのもわかる仕掛けだった。写ってなきゃ意味ないけどなあ。

Breakfast在籍時代(1982-1984)は、常に巨匠との仕事が多かった。自分が20代後半で、巨匠もまだ40代なんだな。それでも、あの「威圧感」はすごく勉強になった。苦しかったけど。独立してからは「同世代との仕事を意識的に徹底」したのだな?自分。そのパートナーの一人が坂野さんだったんだなあ。制作したモノは少なかったけど。