第二弾 「Radio Fantasy」1981年

ギタリストでサウンドリエーターの土屋昌巳がリーダーだった「一風堂」の1981年のアルバム。ヒット曲「すみれ September Love」はこの翌年。
初期は化粧系で後期は80年代を代表する個性的な音を出していたジャパン(デビッド・シルビアン、ミック・カーンも在籍)にも座席し、いわゆる「凱旋ツアー」も。

「Radio Fantasy」のジャケ絵は大竹伸朗氏。ワタリでのデビュー個展以前のイラストレーター時代の作品。流石だ。

Illustration:大竹伸朗 Photography:鋤田正義 Design:野本卓司

Design:高橋伸明、加藤靖隆
Featuring Musicians
Synthesizer:坂本龍一 Bass:Mick Karn, Percy Jones Drums:Steve Jansen
Guitar:Bill Nelson Vocals:中西俊夫 Programmed:松武秀樹

YMO人脈も多い。

Japanの武道館ライブのツアーパンフ。表紙にも土屋さんが。このライブでは呆気にとられる事が多かった。
1)武道館を埋め尽くしたほぼ女性ファンがマントをして静かにメンバー登場を待つ光景
2)メンバー登場とともに、一斉にマントを脱ぎ踊り狂うファン。
3)ミック・カーンの踊りながら弾くベース
ゲストは高橋幸宏坂本龍一矢野顕子。前座はサンディ&サンセッツ

土屋さんというと幅の広い音楽性で、ソロやバンドに様々な音楽の要素をあっけらかんと取り入れている、という印象がある。和楽器や流行のサウンドも取り入れた雑食性の幅広さ故、一般的には正確な評価がされにくいのではないだろうか。90年代は「ブランキー・ジェット・シティー」のプロデューサーとして活躍した。これも意外性があったが、成功している。2008年には加藤和彦さんとも活動している。

土屋さんが「美乃家セントラル・ステイション」に在籍していた、というのは最近知った。「美乃家セントラル・ステイション」がバックを勤めていた「元祖・学園祭の女王大橋純子サンのアルバムデザインをした大橋重成さん(akaシゲちゃん)との出会いが、ボクがこの世界(ジャケット制作)に具体的に一歩踏み出せた「大きな出会い」だった。(「HOT LIFE」は土屋さんが脱退後のアルバム)

シゲちゃん先輩との初仕事。松田聖子さんデビュー年ですね。ヒット曲連発時期で撮影は夜中でした。
当時でもレコードと同じデザインはギリギリOKだったかな?という感じではありました。(AD:サイトウマコト氏)

「80年初頭はYMOを中心とした時代」と言うが、改めて歴史を振り返ってみると、1979年の「Solid State Survivor」から1981年の「BGM」までがハイライトだろう。当時はただ熱いだけしか感じてなかったけど、ホントに歴史がひっくり返るくらいの3年の出来事だったんだ。ボクも24才から26才だった。


2015.1.12