映画「男はつらいよ」は東京の変化を描いている

渥美清は良い役者と思うけど、映画「男はつらいよ」はそれほど好きなシリーズではなかった。だけど、毎週土曜日放送だったお陰で見たら、何となく皆の言うところの魅力が少しだけわかった。
「車寅次郎」という人物像は、かつての東京にはけっこう見かけたタイプの男だと思う。正直いって隣に住んでいたら迷惑だと思う人は多いと思うなあ。日常的にかかわりたくないヤクザな男であり、お金の無心ばかりの頼りない男であり、純粋さ故の正論ばかりで事が合理的に進まず、とかなあ。
あの役を違う役者演じた場合、あれほど続かなかっただろう。それは渥美清という変人(そう完全な変人なのだ)の個性あっての人物像が出来上がって(10作目辺りか)、監督の思惑としてのメッセージ、つまり「今じゃ廃れた人情の世界」とか「お金じゃないのよ」「東京的な人のやりとり」を渥美と演じた人物像から感じていたのではないか。
毎回エピローグが「晴れた元旦の日に河原の凧揚げ」なのも、そういう事なんだろうなあ、って思ってた。
こういう話しも「生粋の東京人は全体の3%」では東京ローカルの話しも意味がなくなって来ているから、自分もその一端を担う責任があるやもなあ。

東京の街の記憶について考える時がある。小さい頃行った恵比寿は梱包屋や工場ばかりで、無彩色の街だった。中学生のときの遊びだった渋谷に行くとほっとする。渋谷はあまり変わってないからなあ。特に道玄坂は若干の変化はあるものの、である。

話しは変わるが、大阪だと、ミュージシャンは、ライブだ。当時、メーカーの制作に絡んだスタジオは東京なので、大阪には(ほとんど)スタジオミュージシャンがいないわけで、だから大阪ではライブでの表現力がないとやっていけない。いや、今ではやっていけなかった、か。ん?それとばかりでもなさそうだ。音楽は最終的には土地柄が大きく影響しているのだ。