アニメーター志望だったけど。

「大人になれよっ」って怒る人いるし、自分もつい言っちゃったりするけど、これは「口語体と文語体の表現としては微妙に差があって、大体の場合はわかっていながら、興奮して強めに言うと、こういう根底から覆す様な単語を使ってしまう」ということなんだろうなあ、と冷静に分析。
この「大人問題」って、「マンガを読むのは、大人なのか?」というピンポイントで考えてみたい。
読む人には「マンガに大人も子供もないし、日本の誇る表現だ。」となり、読まない人もしくは卒業した、という人には「例えば戦争の歴史は実写は辛いけど、マンガなら読み取れたり、受け入れられる。というが、歴史認識としては肝心な部分が曖昧になり、根本は現実逃避では?」
いろいろ考えると、対外的な評価としての「日本独特の歴史認識」の根本がここにあるような気がする。
最近良く思うのは、個人の意見と「土地柄の生み出す感覚」との関連性だ。
戦時中に、非難はされていたものの、ある種堂々とマンガを描いていた手塚治虫さんが、大衆的になり、マンガにある種の権利を勝ち得たとして、それから進歩したマンガが世界に飛び立ち、自由に表現出来る様になったとして、それまでして手塚さんと大衆が必要だった「マンガ」が時代を経て、変貌したと思うけどなあ。
こういうことを学者に任せず、自分なりに社会の未来を考える、が大人の態度なのかなあ、と思う。