ノーコーサウンド

サッカーを見ても音楽を聴いても料理を食べても、同じ様に「ニッポンはニッポン」だなあ。何も欧米的に真似するだけではなくて、何かが必要なんだ。
島国だから、同じ事の繰り返しに不安と不満をかかえ永遠に広い世界への可能性を意識している、つまり外国への憧れがついてまわる。「新しいものへの興味や関心は、同種の新種で活性したい動物的進化の必然。」という説があるが、サッカー、料理、音楽すべてに共通しているのは形而上的。つまり、形のない物程、種族に大事な「受け継ぐべき大事な生き方」なんだ。
例えば、音楽で言えば、欧米のサウンドは日本の「味わいとか湿り気」とかに比べて、突進するパワーがあるのは、攻めの姿勢=環境、の違いだと痛感する。俗に言うところの「農耕民族vs狩猟民族」だけでもないように思うが、おおまかには否定出来ない。クリスチアーノ・ロナウドの走る姿と長友の走りは違う。ゲーム上、走る目的が同じでも、走り方の違いは走る姿に見える。捕まえてその場で食ってしまう走り方と、生きたまま持って帰って飼って増やす違い?なのか、想像上の仮説なものなのか?
とにかく、農耕は狩猟に憧れ、狩猟は農耕に学ぶ、って感じだなあ。