謙虚さについて

「若い世代にFacebookもう飽きた。」というニュース。5年程前にアメリカの友人に薦められて登録して最初の1通でやり取りが面倒になり辞めたが、削除方法が不完全だったらしく、昔の知り合いからとか、いろいろな知らない人から、とかブラジルの親類か?という人から、の「お友達に?」にが数年に渡って来てる。この削除という作業にうんざり。知り合いと思われる?人数が数百人にもなっている。イチイチ返事している時間はないなあ。友人はたまに電話で話すくらいで良い。
ボクの様に仕事が多くても少なくても「やることが多い人」には向いていないだろう。常に「やること」が机の上に乗っている様にしていると、5分ダウンロードの合間に済ませられる事、5分物のミュージックビデオの書出し(30分)の間に図書館に返却、とか、2時間の映画のデータ書出しに食事とか、空き時間が沢山あるので、それまでにコナして行く用件は忘れない様にしているが、自慢じゃないが元来忘れっぽい。歯科医の予約も3回連続すっぽかした経歴有り、今も進歩なし。であるので、自分でも何かにいつも夢中になっている、んだと自覚した。いろいろなイベントに声をかけられても、詳細見たら終わってた、ってことも多い。展示会も同じ。楽しみにしている、というより気になって仕方ない、という時間が苦手。気になって仕事に集中出来ないからイヤだ。「今晩夕食で美人編集者に会う」というだけでも、朝から鼻息荒くなっている自分がイヤなくらいだ。出来れば直前に思い出してブラッと行ってみた程度の感じで考えたい。行ったら真剣に話しますよ。
なので、Facebookではなく、メールか電話でお願いします。手紙でも良いよ。

手紙と言えば、天皇陛下に手紙を渡した一件ですが、彼の「何故手紙を渡しちゃいけないんですか?」に対して「常識でしょ」では答えになっていない。「政治利用」というのも「常識ぶった」言い方で、答えにはなってない。彼はプロパガンダ効果を知った確信犯なのでは?田原総一朗さんも同じ様に感じて彼を持ち上げたのではないか。

昨日のマー君は全く勝てる感じがしなかったなあ。巨人が凄いチームだと始めて知ったのではないか。今の巨人の体制を作った川上哲治さんが亡くなったが、凄い人って皆苦労しているよな。苦労というのは何かを乗り越えた人だよな。それに皆、謙虚な人だよな。