イタリアとつながる

顔シリーズを見せる様にまとめてみた。自分で描いてみてあまりに強烈過ぎて拙いのではと思ったが、それほどでもないかも?思っているより時代的には早くないかも、で、どうやってみせるか?キャンバスに書き写すか?額に入れてそれなりに見せるか。絵という物は大抵の場合「額に入れて絵になる」。いや、額に入れて「これは絵ではない」とバレる場合もある。ヘンリー・ダーガーの作品がアートなのか?
よく風光明媚な風景を表す言葉に「芸術的で美しい」と言いますが、ボクの持論では「美しい」とは人が作った物を表す言葉で、自然は綺麗だと思う。で、あって欲しい。自然に近づく行為と人ならではの行為の境目をハッキリさせたい訳ではないけど、そこにも「不気味」の境界線があると思う。すでに一般論にもなりつつある。
描いた物をただ見せれば良いというのは、ダメだ。作っちゃったから食えとか、爆弾作ったから爆発させたい、とかもダメだ。(科学者や法律家は美学を勉強すべし)
精神的に落ち着く事が大事だな。ゲームは早めに終了させておくべきだ。伝統芸能や海外の美術の勉強は20代で触れるべきだ、と息子どもには言ってあるが、知識ばっかで実際にイタリアの田舎の教会で聖歌を聴いて欲しいなあ。
イタリアは国という枠組みが他の国とは違うようで、音楽で随分と知った。パレストリーナスカルラッティ一家などは今聴く最良の音楽だと思うなあ。教会音楽という枠組みでもない。10代に見たベラスケス(17世紀スペイン宮廷画家)の絵を思い出さなかった。今は、渋谷の交差点を渡る時に圧倒する音楽だよなあ。
自分の「顔シリーズ」をジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1525-1594)のために映像で編集してみよう。

ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ