関連させたがる言葉たち

仕事が一段落したので、平日に高尾山に行ってみようと前の日から簡単な準備。低い山と言っても最近遭難者が相次いでいると聞くから着替えやチョコ程度は用意し、スマホは充電し、など準備が楽しい。朝になってみると、晴れという予報とは全く違う正統派的雨量。下見と名物「とろろ蕎麦」体験も兼ねて、と思案中。雨は予想外だった。そういえば「夢」を見た。
美術館にいる夢だった。電車ではなく車で行った事を思い出し戻る途中にバイク事故を発見。警察に通報する。二人の赤ん坊を乗せたインド人だった。子供達は川に投げ飛ばされただ怪我は大した事はなさそうだが、オヤジは足から出血している。何か言ってるが日本語っぽいが聞き取れない。警察が来る前に起きた。
そもそもその夢は美術館で、長いイベントを見ていたのであった。内容は15分前迄覚えていたが、こうしていろいろ説明文を書いている間に忘れて行った。夢の回路から現実認識へと切り替わってしまったのだ。その間にコーヒーを飲んだのも切り替えスピードが早くなったかもな。
美術館で知り合いと話していた事、イベントに出演したらしい歌手(五木ひろし)が何故か窓から逃げる様子とか、は覚えているが、もう全く忘れてしまった。もう一度寝たらその夢の続きが見れるかもしれないけど、それはしない。
気になるのは、バックに音楽が流れて来て、同じフレーズが繰り返されているのだ。4小節だけが繰り返される。曲名が思い出せない。こっちの方が何か重要な気がする。
そういえば、昨日図書館で借りたジョニ・ミッチェルが借りたCD「ドンファンのじゃじゃ馬娘」が頭に残っていた。ジョニは現在闘病中らしい。デビューから近作迄持っていないのが「じゃじゃ馬娘」だった。ジョニを最初に知ったレコードだったので、その次から買う様になり、遡ってもそのアルバムだけ何故か手元にはなかった。他のコレクションも同じ様な事が多い。
気になっている事は説明することでもないし、理由もわからない。忘れただけの記憶か、はたまた肉体が受け継いだ潜在的な記憶の一部かもしれない。そう思うとまたまた気になって仕方ない。
気になると言えば、「気にしい名人」の横尾先生が入院中だ。つい先日迄元気だったから、大丈夫とは思うが、「まさか」はあり得る。手塚治虫美空ひばりもあっという間にお亡くなりになったからなあ。先生は「死ぬのは怖くない。楽しみだ。」が口癖だったが、「これは生きているから言える事だから」とボクは言い返して来たが、こういう生命力に溢れた人程、死に直面すると、落ち着いた態度なのかもなあ、とも思う。