帰る田舎がある人が羨ましい。

親類はほぼ東京なのでお盆も東京だ。小さい頃は、祖父を中心に野菜で動物を作って灯をともして彼岸の「迎え火」「送り火」などはやっていた。それが、両親の時代になってなくなった。地方で似た様な光景を見て思い出す事はあるが、基本的に生活の中の「非日常的」な項目になってしまった。
両親の世代から「核家族化」になり、こういう風習が簡略化され単なる形式になってしまい、その意味さえ危うい。このままじゃ、いけないのか?形を変えて何か別な儀式に移り変わるのか?なくなってもいいという人が受け継ぐモノは何なのか?
何故、自治会とかで行うのは「盆踊り」だけなのか?学校では何も教えないのか?と普通に考える。ま、そういうもんか?じゃ、「何がそういうもん」なのか?
都市と個人の関係を考えていくと、人は個人と全体では違う生き物の様だ。学生の頃に習った「ゲシュタルト」を思い起こす。慰霊はあくまで個人の意思によるものだ、って考えられる。諸々はその「スイッチ」なのではないか?では、何のスイッチか?送り火の「火」を見ると、人間の本能の何かのスイッチが入ると思う。