写真について

スマホで撮影、アプリで画像加工」って今やシロートが簡単に画像変換やってくれちゃってる。贅沢に数十枚撮って念入りに時間かけてセレクトして情念大注入加工だから完成度が高い。下手なプロが「印刷用の制作ではこう簡単にはいかない。」とか言ってられない。それも今に簡単に出来る様になるんじゃないの?「専門の人に頼むと高いし〜。もう必要ないじゃん。」ここまでくると。だ。

渋谷での写真展に行く。場所は並木橋に近い古いビル。何度かこのビルの地下室で撮影をした事があるので、外壁が新しそうでも古いのは知ってる。
そのビルの1階から6階まで全てのフロアで写真展示。57人のプロアマが参加してる。元々こういう集団的なイベントは好きじゃないし、見ても面白いと感じた事がなかったけど、「仕事の対象ではない写真家の作品」として見たら、他人事として見ている自分が面白がっていた。とにかくいろんな手法が出て来るのが、妙に可笑しい。どちらかというとボクが今迄関わって来た「大御所から褒められる事を意識した作品」や「最先端と思い込んだ過剰な作品」ではなかった。
いろいろな人がいるんだなあ。「ショボイの好き」やら、「古くさい好き」やら、すごい「凝った」仕掛けのやら、「鼻息の荒いプロ集団」やら。それでも、一生懸命に、僕らの世代より純粋に写真を楽しんでいる様に見えた。集団的自己流打破的企画な意味合いも面白く感じた。写真展そのものもそうだけど「日本の写真」という海外からの見え方も期待出来る。このまま中国の上海でやったら面白いのでは。

写真というのは「絵画」と違って見方を変えると急に面白くなる。よく「構図が良い」とか、「プリントの色再現」について、とか言うけど、それより、「どこで撮ったか」〜「何故そこに行ったか」を意識すると面白い。その中に写り込んだ「作品」との関係性を追求すると更に面白い。簡単に言えば、「ブルース・ウエバーの写真を撮っても撮影者の写真になる。」をどう考えるか?なのである。

自分が技術向上のために切磋琢磨していた頃。全て自己流でやることに「こだわって」いて、長い事苦しんでいた技術習得を先輩がいとも簡単に教えてくれた。「俺も悩んでいた頃が懐かしい」って。経験を積むと制作自体は合理的になるけど、確実に作り手としての「初期衝動に近い重要な感覚」が失われていくのがわかる。