無駄に正確な作業が多い。

昨日の夜中(今日の早朝)にデータをサーバーに入れて印刷所にメールして完了、なんて仕事だった。これで、夏の間の仕事は半分が終了。少し時間が出来たので、
印刷物の入稿原稿の変移について「夏の図画工作的に検証」。
「文字篇」
1970年代に入ると写植(写真植字=機械で文字を印字〜専門業者に手描き原稿で指示〜定期的な便で配達〜校正という確認し終わった写植)をラバーセンメントというゴム系の接着剤と専用ピンセットで紙の台紙に貼っていく。(これ以前の時代は省略)
製版所で台紙に貼られた文字を複写(文字がクッキリ写る中間調子のない「リスフィルム」)〜厚みのあつ写植の張り込み時に出来た影をオペーク(影を消す作業)〜製版〜校正(印刷機と違う確認用専用の校正機で刷る)〜乾いた後、2重トンボの内側で切って(カッターで切るのだ)、仕上がりを確認し、問題なければ「校了」と言って終了。
こういう作業では、何段階複数のプロが確認しているので、文字直しはほとんどない。
確定した写植を複写マシーンで何枚も複製するのはボクの最初の仕事だった。
高価な写植は、最初は広告や、雑誌の見出しのみでしか使えなかった(らしい)。雑誌の編集では写植ではなく、それまで活版(亜鉛で出来た文字のハンコ)組み〜電算写植(和文タイプライターみたいな印字マシーン)でやっていた。書体が少なく、変更もほぼ出来ない。(当初は文字の大きさや組みが自由に出来て、なんて画期的な商品と言われたが結構あっという間になくなった、か)このヘンは多少端折って説明しないと長〜くなるので。
80年代に入るとすぐに、「これからのグラフィックはコンピュータ化」という話になった。なったが、コンピュータは一部の人しか使ってなかった。高価だし(完全に揃えると1000万くらいかかった)経験もないし、第一今迄習った方式と違って先輩も知らない訳だし、誰も教えてくれない。
専門誌が出て来て読んだりしてた(ヤフーも最初は雑誌だった)でも、見て触っていじった方が早いと思い、代理店の友人に紹介してもらい、今で言うIT専門業に頼んで週末に研修に行ってたりしたのが、1987年くらい。そのすぐ後にはパソコンが現実的な価格(100万位)になって経済的に余裕のある友人がドンドン買っていった。たった数年の話だ。
最初に見たというのが(余裕人所有も)マッキントッシュだった。なので、この業界ではマックを受け継いできたのである。
そもそもアップル日本進出の広告の代理店が電通だったわけで、表現担当も電通のデザイナーS氏だった。彼は典型的な「外国かぶれ」で会話に英語が交じる&ゲイっぽく&お金持ちだった。お宅はリビングが100帖あった。(卓球台が数台置いてあった!)
写植の話が脱線したが、文字は「そんなに簡単じゃない」というのと「意外にお金がかかっていた」なのであり、今では「フォント」と言って、だれでも最後の最後まで文字を直していく作業が延々と続けられる訳で、無駄に正確な作業になっている。「プロじゃなければ出来ない技術」から「誰でも出来る」という変移なんだな。クリエイティブからドンドン離れていくような感覚もある。