道の側面

人は勝手な事を言う。「君は困った事がないだろう?」とか言われる。確かに奴には(先輩だけど)全てを話した訳じゃあない。経済的にも「悩みがなかったろう?」とかも言う。大学で「教職」をとらず、憧れだった会社も辞めて、さっさとフリーの道を選んだ。最初から決めた「道だ」ったから、多少困っても気にしなかった。気にならなかった。
好きな事を好きな様に好きなだけやってきた、と大見得を張れる程じゃあないけど、ハードルを上げながら少しずつ上がって行って下を見たら怖くなった、という経験はあるが、今では上でも下でもない更に中途半端な場所にいる感覚がある。どちらかというと「圏外」でたまにつながる場所か。
そもそもこういう業界にいると、群れる。地方から「志」を持ったある種同方向を向いた人が東京に来て業界内で年齢枠に群れる。ここでの「困った」は共有されるから、より強固な連帯が生まれるのだろうが、東京人にはそれが全くない。最初から群れた状態に抵抗感があるから、先に距離をおく。これは大人数でロケに行った時等でよく体験する。「馴染めないのは性格の問題だ」とか言われるが「性質」の問題なのだ。
東京人を独自に分類すると、先ず「南北」に分けられる。「北」はディープなソウルミュージックで「南」はファンキーなロックンロールだ。これは人種の移動と関わっている。(細かく言わないけど「東はワールドミュージック」で「西」はブルーグラスか?)「山の手と下町」の構図は昭和までとする。それから「戦前からいる原住民と戦後移住の開拓者」に分けられる。これは土地問題だ。ボクの母方は品川の原住民だったが、父方はソウルミュージック系の浅草〜品川移住の改宗者だった。(笑)
これ以降の分類は細分化なので省略。分類の次元は多層であり、経験則的というより時系列的データから。
アメリカでは移住者のデータがある。それが様々な分野に波及しているのがわかっている。効率よく操作も可能という事だ、と信じきっている。
最近気がついたが、仕事の周辺にいる人が昔からの知り合いで、元々東京人という人が多くなっている。それにほとんど関西弁を聞かなくなった。関西の人も全く関西弁を喋らない人も多い。バイリンなんだな。帰る場所もあるし文化も二重で羨ましい。