映像にあった喋りがダメ

仕事中にVHSビデオのデータ化を同時にやっている。我ながら「ザ・豆」(超健康という意味か)しかし、楽しいからやっているのだが、同時に「すぐ出せる資料」「後世に残す」という意味や、宇宙人が見て「励まされる」とか(またか)、いろいろ意味があると漠然と思ってる。99%は予想もつかない使い方が待っているのは間違いない。
今日は今迄気が向かなかった「自分出演の映像」の棚から。先ずは1_「1999 Music Day イベントゲスト出演記録ビデオ」、2_「1989年/雑誌03 tokyo callingのプロモビデオ」2本。「1」は音制連音楽制作者連盟)主催の音楽イベントに出演した時の映像。東京の各地で行われ、ボクは渋谷タワーレコードにミュージシャンに混じって登場。司会は、スマイリー原島ちわきまゆみ。二人とも知り合いなので、ステージに上がって「世間話」していた感じ。目の前に「台本」があったが、気づいたのは終わり間際。やっぱり知り合いだったディレクターに聞いたら「あなたは良いですよ」だって。他のゲストは、佐藤タイジ、チャラ、オータムストーン、松崎ナオなど。話は「佐野元春との出会い話」をおさえて、当時制作していた「オリジナル・ラブ」や「矢沢永吉」「のっこ」「横尾忠則」などの話、とビデオを見て思い出したが、このビデオは「一応記録のために貰っておきたい」だったが、見たのは始めて。むむむ、意外にちゃんと喋っているじゃないか。ただし「だみ声」のまま。
「2」は、今考えれば超貴重なビデオ映像ではないか、という代物。編集長だった故・吉武さんが真面目に雑誌の事を喋るがいかんせん固い(笑)で「見てもらえるビデオにするため」の司会は、いとうせいこう氏。いとう氏と事務所で遊びみたいな「ロゴ作り話」をしている筈だったが、見たら映像だけで喋りはなかった。記憶違いだったが、しかし若い。33才の自分。熱い俺だった。プレハブ編集室を燃やすのか?ってくらい燃えてたなあ。この取材の後、編集部の若干名とコントリビュータ数名とゲストのいとう氏、藤原ひろし氏など十数名でNYCに行った訳であります。ただしバラバラに行きグラーマシーのホテルで集合。いきなり高城剛氏がいたり、っていう時代でした。
映像に向いている人、映像に合う話し方、などを考察。自分的には、60年代に大人になっていれば良かったなあ、と思うんだけど、こういうビデオ(誰も見てない)を見る度にそう思う私なんです。