人間の本性について「ストーカー」

今朝、「特ダネ」で「ストーカー被害の実態」を特集。本日は第一回は「見えない恐怖」。夜半に「女性宅に侵入する男を(赤外カメラ撮影)追い、ついには確保し、女性の前に突き出し、同じ会社の同僚だったので、その場で示談書を書かせる。」で一見落着したという一部始終の様に見える。明日も会社で会うかもしれないし、今後も大変だろうなあ。6年前にボクも被害にあったが、その時から「ストーカー行為に走る人間の本性」について考える事が度々あり、被害にあった現場に立ち会った知り合いは「ああいう奴は死ねば良い」的な言葉を吐き捨てるが、その時の知り合いの「目」が怖い。ストーカー行為の反対側の同じ視点と感じる。いわゆる逆差別的な視点で、ボクには完全には憎めない部分もある。「性善説」「性悪説」を語っても解決する問題ではなく、人間の本性をどう理解して、個人とか社会とかを対処できる「場」を作る必要があると思う。「人間らしく生きる」なんて、取り上げないテーマになったからこそ「出てくる問題」なんである。
例えば、(話は続いていて)森光子主演のテレビドラマ「時間ですよ」で出てくる「風呂屋のコミュニケーション」。東京の理想的な姿と思うのだが、ああいう時代・場面でも、「阻害された感覚を持つ反社会的な立場」はきっと存在し得る。と自分の中で飛躍しながらいつも「社会」を考えている。近くある選挙に日本の組織自体の問題とそれを利用している人の最良の選択なのか?と考えてしまう。明日は「女性がストーカーする」を取り上げる。

今日の一曲
Mahlathini & Mahotella Queens

この映像の少し前にNYで見ましたが、最高なんてものではなかった。鉄面皮が汗だくでステージに駆け上がった唯一の楽しかったライブがこのグループ。マホテラクイーン(多分中央のおばさん)にキスされたし、彼女の汗と熱が今でも気持ち良い感触として残っている。