「泣き』フォーマット考察

最近の傾向としてTVCFに「ショートムービー」仕立てが多く目立つ。役者のキャスティングも作りも良く出来ていて、あまりに美しく肝心の商品が印象に残らず「広告」にもなっていないものもある。結局スポンサーは何かを売るため知らせるためではなくて、「こういうものを作るセンスがある」的なCI(コーポレート・アイデンティティ<コーポレート・イメージか)として作っている。リクルート的な意味合いがあり、ほとんどの人にはスイーツの試食品的な意味合いしか残らない。
が、気になるのは、やたら「泣かせる」ドラマが多い事だ。日本人は「泣くドラマが好き」という定説は、「国定忠次」「勧進帳」の昔から、「一杯のかけそば」まで実証済みだ。(すすり泣き)
かつて、貧乏から「腕一本」で這い上がり、有名になる(金持ちになる)ドラマは、ボク等は「梶原一騎」のドラマで毎日の様に見ていた、「細腕繁盛記」(花登筺)もそうだったなあ。日本人の根底にはしっかり根付いているんだなあ、と子供心に思っていたけど、最近の「泣きドラマ」に関しては、これらの「定説」には直接関係なく、人間本来の「本能的な泣きのシステム」を応用した手法を感じる訳です。
昨年の映画「あしたのジョー」は、山下智久さんが美しく、動きや振る舞いにも何か特別なものを感じました。この映画には「梶原一騎」の名残は薄く、今時日本人のための「泣き」の作品を感じました。多分ですが、年齢差によって「泣く」場面がはっきり違う様に思えた。なので、ボクには巧妙に仕組まれた「年齢対策」さえも感じてしまった。それを超えるのが「美」で、山下さんの美しさは超えていたなあ。
制作者としては、オリジナルの漫画のイメージを壊さずのキャスティングも大事だけど、元の作品に漂うもっとダークな作品にして欲しかったなあ。ティム・バートンが「バットマン」で踏み込んだ人間本来の「暗さ」や「いかがわしさ」ももっと描いて欲しかったなあ。ボクからすると普通の作品に見える。「あしたの〜」は普通じゃあないですよ。「丹下段平」の香川照之さんは確かに凄い俳優だけど、ボクにはアニメの段平(声:藤岡重慶)を超える生々しさを期待しちゃうから。とか言うと、知り合いに「そんなマニアックなのは受けまへん」とか言われちゃうんだけど、その知り合いも「濃い口」が好きで、そういう作品なら無言で見てますよ。

あしたのジョー 第62話 「生きていた力石徹」 part2