ブログのコミュニケーションは本物か?

友人のブログが更新していないと思ってよく見てみると、コメントに気になる書き込みがあった。地元の友人らしき人が書いた「掲載した写真」に関して、倫理的に警告している、がひとつ。次に同様の件で多分ファンの人が書いた様な痛烈なコメント。これを聞きつけて参入していた様な野次馬的なコメント。ボクは疎いのだが、こういのは何と言うのか?「炎上」でもないだろうし。で、気がつくのが遅いのだが、こういうことがショックで更新が止まってしまった、であろう。(遅い!)
ハッキリ言って、こういうコメントが嫌なら最初からやらないきゃいいのに。友人は一応芸能人だから仕方ない、と思うのではあるが、この「芸能人だから仕方ない」の「芸能人」とは、一体どこまで理解されているか、理解しているか、なんだよね。
友人は多分、ファンと言っても「不特定な」な間柄ではなく、もう知り合いみたいな人だったんだろうね。だから、友人に語る様に話したところ、そうはいかなかった。書いててわかったけど、コミュニケーションが目の前にいて語り合うような事が出来ないから、ボクとして思うのは、仕事に専念したかったら、ブログのコメントは辞めた方が良い。しいては、ブログも使い方だろうなあ。昔昔、BBSとかでも様々な問題あったしなあ。
ボクは最初からブログに「いいね」とか求めない。ボクが同意や賛同がないから、やる気がなくなって来た時は、もうニホンが駄目になっている、とさえ思う。ついでに言うと「このニホンがボクを駄目にさせない状況がある」というのが拙い。嫌!オカシイな、拙いのはボクではなくボクが駄目になるのはニホンの損失だと思っている、まあこの位の「おごり」っぽい強気じゃないと駄目だといい対話けで、あ文字変換ミスです。駄目だと言いたい訳で、ブログとはそういうもんです。
芸能人という友人はとにかく器用な人で、元々楽器奏者、デザイナーも難なくこなし、文章も書く方です。楽器は超ベテランなので書きません。デザインは見た事ないのでわかりせんが、言っては怒られますが、文章が一番抜きん出ています。なので、最後に取りかかったブログが突破口になって芥川賞狙って欲しかったのだが、こんなことで止められない、と早く気づいて欲しいです。本来ならば直接言ってあげたいですけど、最初に言った様に、ブログのコメントを見た程度の話なので、全て推測です。彼のためにささやかに捧げた今日のブログでした。
彼に推薦したい映画。「12人の怒れる男

そういえばこの50年代の名作が2007年にリメイクしたのを今頃思い出した。リメイクはレベルに達しない作品多いので最近はもう虫です。無視です。ボクがグルジア映画監督と会食した時に、フランスで撮った作品が凄く良かったのでいろいろ話していたら(英語が喋れる)、アメリカでリメイクしたという噂を聞いたけど、公開はされなかった、ということは。意気消沈。嫌々、彼に頑張ってもらわなければ。
話は全くかわるけど、(書いている最中に地震があったので思い出した)去年の震災で普段の危機管理が間違えじゃなかったことについて。出来る事はすべてやっていたけど、ガソリンだけは忘れていた、というのを先週満タンにする際そういう話が出た。地震も続いていないし、とりあえず安心。