エンゲレッス

14才の時に行きたい国が「イギリス」だったんだけど、好きだったストーンズ(The Roling Stones)=イギリスだったのかもなあ。クラスでイギリスをカミングアウトしたのは他に1人だけだった。他の奴らは(失礼)が言うには「食いもんが不味いらしい。」「古くさい」であった。なんか、産業革命前の話をしている感じで話にならない。「1名君」は駅前の果物屋の倅で、たまにお店にお邪魔しては「大人になったらロンドンに行くんだ」「ナニをする?」「そんなのは行ってから決めリャ〜イングランド」とか言っていたに違いない。
海外に始めて一人で行ったのはニューヨークだった。70年代の名残があって(黒人はほぼアフロ)楽しかったが怖い目にもあったなあ。仕事で頻繁に海外に行く様になったのは、中東、アメリカやヨーロッパ。でも、ロンドンに始めて行ったのはミッシェル・ガン・エレファントのデビューアルバム撮影が最初。カメラマンもボクもロケハンや撮影以外は単独行動だったので、現地の友人にも会ったけど、ほぼ一人で行動した。どこに行っても美味しいものばかりだった。
普通の観光客には「冷たいフィッシュ・アンド・チップス」しか、出さないだろう?と思い、市場に行って屋台で食べたら、熱々の「鰈のフィッシュ・アンド・チップス」が美味しかったし、「サバの季節に食べてみな」そうだよな〜、ロンドナーが行く店に行きゃいんだ、で通勤で混む朝のカフェに行くと、これも楽しい。
考えてみれば東京だって同じ様なものだった。

世界の文化を紹介する番組「世界の旅」の兼高かおるさんは、まだご存命で横浜在住。お見かけ候也。(インド系美女・兼高さんは今で言えば、滝川クリステルさん!)最小人数ロケ撮影の元祖だ。(ディレクター兼通訳=兼高さん・カメラマン・現地コーディネーター)この番組は音声が同行してないので、いわばサイレント的。

小さい頃、外国に行ける人は限られていて、ハワイ便は100万円以上(片道か?)。だから、昭和30年代にはこの番組見るしかないし、自由化前なので勝手に外国に行っちゃいけない時代だ。叔父が羽田からアメリカに行く時には一族で見送りに。それ以降、年に一度は羽田に国際線ターミナルに遊びに行ったもんだ。へぇ〜?