ニホンはニホンのまま

アメリカ大統領選で、改めて思いましたが、いろいろ問題はあるだろうけど、国全体が選挙で国のためにああまで盛り上がるのは本当に羨ましい。アメリカに行く度に「VOTE!」(投票しよう)というプラカードを持った群衆を見たけど、大統領選を見て感じてみたいなあ。
ニホンでも首相公選制の案は出ても、それをモノに出来るかはムズカしいなと思う次第。実際思うのは、こういう順だ。実現の可能性は国民の中にある〜あまり現実的に推進しようとする意思が弱い〜正直言って個人の損得問題しか興味がない〜基本はノー天気ではないから「国全体の制度を見直す」と「個人としての責任」とのバランスで一応は悩む〜後できっと「誰かがきっと良いものにしてくれる」と思い込む〜で、段々気が重くなってきた。伊丹万作の「戦争責任について」の論文を見ましたが、戦争も回避出来た筈の「日本国民のやる気のなさ、の責任」について強く言及していて、大まかかには同意。共産主義に関しての考えも普段の日本人に、その無責任さを感じる。
アメリカ文化の到来〜戦前はフランスやロシア文化が主要な海外文化であった。他ヨーロッパ文化の垂れ流し的な「輸入」も根源的には変わりなく、明治前の階級のコンプレックスが未だに残る。「差別問題」に関しても薄くなっただけで、勇気ある発言は少ない。
などと言う考え方と「ロックが好き」は非常にユニゾン的に進んでいる、と思うが、何の話かわからない人にはわからない。つまり、「ロック音楽の本質は自ら掛け値なしで挑む現状を打破する勇気だ。」という論拠であ〜る。なのでロック音楽を聴いたし、感じて来たが、最近のは成功者の先端技術披露みたいでボクは好きになれない。ニホンにもそういう意識のある音楽家がいるのも知っているし、そういう活動もあるので、それはチョイスしていきたい。

今日も一曲。
Tom Waits