ポップ曲は3分が限界説は原始の時代から?

今でも「3分が限界。」というのはラーメンに限らない。ポップ曲も3分までにわかんなきゃいつまでもわかんないまま、って気がする。
人によって違うのは当たり前だけど、一般的というより、気温や体温、常識みたいに基準が感覚的な範疇で、3分というのは全世界的に同じなのではないか?(やや大袈裟)例えば、アフリカの地方都市(何故なんだ?この例え)で、3日に一度しかバスが来ない様な場所でも、「ラーメンは3分」なのではないか?ラーメンがあるかないかは別にして、必要であれば待つ感覚と、素直に「反応出来る感覚の枠」という3分は、人の鼓動に原因があるのではないだろうか?かなり強引な理論ではあるが、心臓の鼓動が10という人はいないだろう?だから、例えば血液が一周している間に起こっている事柄に、本能的に「有効か無効か」を反応して、「面白い、面白くない」がわかる前の時間、とは言えないだろうか?
この案件自体には、「3分枠」は適用されず、じっくりと考えさせてしまう様な件なので、まあじっくり、と。

ラベルの「ボレロ」だったら3分辺りは、まだ「クラリネット」くらいで、(わかる人はわかる例えですが)何も始まらない時間で、というのは問題が違うんでR。これはボク的には、30分辺りが気持ちよくて、映画でもオペラでも3時間でも全然苦痛ではないのもイッパイではないけどありますよ。s−ゆー話じゃなく、最近のポップ曲が長過ぎて、退屈だと思う様な事が多いという話なんでR。多分「ヘイジュード」の成功例あたりから、か?時代やその時期を読み誤っている「長い曲」なのか、ボクが単に少しばかり先んじて案じているだけなのか?神よ、教えてタモリ

3分枠の天才コステロ

これなんか2分きってる!