Japan as Band

映画10選に続いて「音楽10選」と言われ、すぐに出す様な無責任な事は出来ないなあ。うかつに出すのは危険。とりあえず「デヴィッド・シルヴィアン」もしくは「ジャパン」の話をして誤魔化すことにした。
武道館ライブに行ったのは何時だったか?家にあったパンフレットを調べると1980年と82年の2回武道館で見ている。80年の時は前座はなんとARBであった。ジャケットが面白かったので見に行った。そして82年。たった2年でバンドはもの凄い音の「洪水」を発生させる気配を感じさせた。とにかく「新しいものを作ろうという気迫」が強烈だった。特に変態ベーシスト、ミック・カーン。個性的なフレットレスベースはあのBrian Enoアルバムで有名になったパーシー・ジョーンズのプレイを徹底的にパクってて、しかも過剰なメイクとバイセクシャルを演出した衣装で社会主義国の兵隊の行進みたいに直角的に踊りながらベースを弾くのだ。ビジュアル系の原泉の一つだ。
しかし彼らはいわゆる「Big in Japan」という、ニホンでだけ人気のあるバンドとして評価は低かったまま、猛烈に進む音楽の躍進と評価が一体化されないまま解散した。
デヴィッド・シルヴィアンはその後アート度の高いコラボレーションを続ける。これもBrian Enoの開いた道を行くミュージシャンとしてしか見ない人も多かった。
ミック・カーンのフレットレス・リード・ベースは、レコーディングの最後に一人になって弾く、と友人(ミュージシャン)から聴いた事がある。渋谷パルコでのミック・カーン展覧会も見たが、人の入れ歯と義眼を使ったトルソは強烈であった。
1991年の再結成アルバム「Rain tree crow」の一曲「Black Water」は素晴らしかった。多国籍的で、それまでの気合いが完全に昇華された大人の佇まいが美しく、これを最初に出来ないところが、音楽の面白いところなんだよ、とでも言わんばかり、嫌、言わないよなあ。