ボクの伝えたい事は

最近の歌の言葉にボクは違和感を感じていた。「この思いを届けたい」の「思い」って何なのかが理解出来てない。文章的に言えば、それまでの「ボクのこういう思い」がの「思い」が説明されているべきなのに、「思い」がただ「何かを思っている」の「思い」になっていて、先方から「ナニを思っているの?」と聞かれて始めて答える様な「甘え」とか「優しい受け答え」とかしか感じなかった。
が、ある時急に思いあたった。それらが何故にここまで抽象的だったのか?多分ですよ、ボクの拙い意見ですが、日本では不況が慢性的になり、社会不安も日々を蝕んでいる。社会が完全に二極化していっている。大きな震災もあったし、世界もそれ以上に不安定。夢も希望も簡単じゃあない。そういう不安やこれから起こるかもしれない見えない力が襲っていて、無意識に日本人が団結して「言葉」や「言葉の使い方」に現れている様に急に思ったんですね。それまでは夢なかり希望ばかりだったんですね。まだボクには。
同時に、スポーツでの活躍や医学や科学の発明や技術進歩、様々な分野で見えた「乗り越えた力」に、少なからず自分たちも「何か出来そうな気がして」という現れ、が「言葉」に加味された、のだろうと思う。
アメリカやオーストラリアの荒野を車で飛ばして聴くラジオから流れている音楽の軽快さは日本にはない。スケールが違う。全く違う。そういうのは現実離れした憧れの「仮の音や言葉」でしかなく、デリカシーの物質的なサイズ感が違い響かない。だから「この思い届けたい」になったんだろうなあ。難しい話で、これじゃ何も伝わらないよなあ。「はしょり過ぎ」で。文章になりにくく焦れったい。ああ、この思い強く伝えたい、となる。

今日の1曲
この民衆の歌(フォークソング)こそ今歌い手には歌って欲しいなあ。