XXXは、日記の様なもの

ミュージシャンが書く日記は今やヒジョ〜に生活感にあふれ、広報的な意味はあるにせよ「少なくても仲間に共感出来れば満足」に陥ってる。はっきり言えばツマラン。何喰おうが、何処行こうが構いませんけど、音楽と関係ない話題だけで自己満足の図、に見えるのはオッサンだけではなく、皆も感じているからこれが消滅するのは時間の問題。
Twitterでトラブル発生の芸能人がわざわざ「辞めます宣言」してた。楽しい筈が、苦労がたえませっしぇんなあ。

小学校の頃、クラスの学級員の女の子が「日記を書いている」というのが噂になって、本人には聞くのは恥ずかしいから、友人と「君だったらどこまで書くの?」という話になり、「懺悔ですよ。」「そこまで書いちゃえる?」「人は嘘ばかりついている」「そうだよねえ」
公明な作家から「日記には本当の事を書くのが正しい。そして人には絶対に見せない」「じゃあなんで書くのでしょうか」「書く事に意味があるのだよ。」「でも人に見せないんですよね」「人の本心では読んでもらいたいことがあるから書くのであって、本人からは読ませたいとは言わない、この矛盾こそが日記だよ。」「確かに」
という会話を思い出しつつ、もう一説。
同業大先輩との会話。「日記には昨日セックスした、とかあいつは嫌なヤツで大嫌いだ、と書けるから日記は楽しい。ボクなんか日記で計画殺人もするし、大作も作っちゃうね。」流石先輩!
夢日記という確立した文学ジャンルがある(ホントか?)。夢と日記のコラボ。漫画家・つげ義春は「夢の達人」と思う。しかも漫画も付いた限定版!
若い頃に見ておかねばならぬモノってある。ボクの場合は「つげ義春作品」がそうだったなあ。