イタリアは人間的なパワーの場所

独立してすぐに貰った仕事が某大手石油会社のCFで、イタリアに3週間のロケだった。現地スタッフに日本人女性がいて、その人は20代後半から30才位のOLの名残のある女性で、イタリア人男性スタッフと組んでコーディネーションをしてくれた。最初の週はロケハンやモデルのオーディションなどでいろいろな場所に行った。サッカーの国立競技場(後で撮影)に行ったときは、元モデルでサッカー好きな男性スタッフMさんは大はしゃぎ。「滅多に入れませんから」とキレイな日本語で話す。こういう時、キレイな日本語は、正式に日本語を習った人から聞く場合が多々ある。
2週目は撮影で、無事終了。3週目は予備の週だったのでまるまる1週間が空いた。今では考えられない余裕の日程だ。カメラマン氏と小旅行に出た。彼氏は師匠が大巨匠なので、20代前半から世界中に行っていてイタリアも年に数回は来ていたという。なので、彼はいわゆる観光地には興味がない。
あるときはローマ駅について、行く場所を決めてないから、片言のイタリア語で駅案内などに話を聞く。で、行ったところが小さな港町。海を見渡す水平線が、日本画ではなく印象派の色彩。空気の「粒」も違う。夕方、歩いて違う広場に出た時、バイクが数台やってきた。
若いカップルがヘルメットなしで僕らの周りをグルグル回っている。楽しそうに話しながら。バイクを運転する男の太い腕と風になびく女の子の髪の毛。すこし間があってバイクのカップルは3組に。物珍しいものを見て集まってきた子供達の様相。彼らの会話はデ・シーカの映画の字幕スーパーみたい勝手に訳されて聞こえた。彼らのバイクの音に煩がった洗濯中のおばちゃんが大声。しばらくしてバイク3台は去って行く。
泊まったホテルに戻ると、部屋が移動されていた。ジュリエッタ・マッシーナが先週迄泊まっていた部屋を当てが割られた。天井は高く豪華な部屋で居心地は良くなかった。旅した様な簡素な部屋の方が向いているなあ、とか思っていた。その部屋にはワイン用の蛇口がついていて赤ワインが好きなだけ飲めるのだ。ああ、嫌な感じ。でも、今考えれば良い経験だったかもなあ。
写真も撮ってないし、何も残っていないけど、逆にそれだから鮮明だ。色や感覚的な部分の記憶がシャープだ。それから2年後のトルコ旅行では少し写真を撮ったし、10年前のロシアでは写真を撮りまくった。新しい場所程記憶が鈍い。
記憶は自分が再構築する場合があるけど、この場合はその時に受けた衝撃が大きかったということだろう。日々退化して行く感覚について、ある意味それで良いのではと思う。