ヘンタイガ生きるのは死ぬほどタイヘン

録画していた映画に付いていたニュースが不完全で、自分で調べたらニュースにばらつきがあり、自分で再構成したら、こうなった「都内の某イラストレーターが手術で切り取った自分の○○○○を(欲しい人に売ってあげます)オークションにかけて集まったお金が手術費を超えたのでライブハウスで皆で食べる会を催したので逮捕。」だいたいこんな感じだった。だけど、自分のを食ったのが事件なのか?そうだから変態だ、とか、ニュースの視点もばらつきが。
勝手にやってくれと、無責任なことは言えない状況になってきた。世の中の変態が許される割合は、少数派の少数派であり、この手は一般の知るところではないエリアで、30年前にこういう趣味の本の編集に携わって大いに勉強した手前もあり、現在は多数派とはいわないまでも、一般に知るところになってしまった、責任を感じている。
実は陰でこういう趣味の〜とか、で悩んでいるのを開放、というのは簡単ではない。予め知って貰い、偏見をなくす、というのは簡単だが、そういう正義感的意識にはその反動があるから、元々こうなっているのを勉強すべき。
「30年前の変態専科」には、「でぶせん」「あなる」など結構今普通に出てくる「単語」が徹底的専門的隠語として扱われていた。その頃には「こういのは絶対に一般化しない」と決めつけていたからこそ、浮上したのだな。
まして江戸時代の様なパターン化した社会にも蔓延した変態趣味は多かった、といろいろな書物には書いてある。そして「覗き」もまた。「真似平」と言われる小人みたいなスケベが人の様々な営みを覗く輩を書いた漫画はアラーキー写真と似通っていて非常に面白い。