web 関係のデザイナー

ウエブ関係しか関わらないデザイナーと、元々美術を経由して来たデザイナーと大きな違いはないのだけど、今まで小さい違いと思っていることがだんだん大きくなって来た様に思う。
美術経由でコミュニケーションを勉強してから、「グラフィックとは何だ?」みたいな勉強を嫌というほど浸かった身には、コンピュータ経由のウエブ関係は感覚的な抵抗があった、という同胞は多かったが、今じゃそんなこと言ってられない、ギャップを感じる前に目の前の作業を確認する、で謀殺されてしまう。
例えば「情報のまとめ方〜見え方〜感じさせ方」か。受け手に如何に理解し易く、誰が見てもわかるように、というのが根本的に違う様に思う。作る側主体の合理性だけではコミュニケーションはなりたたない筈なのに、と思う様なまとめ方を多くのウエブデザイナーは平気で進める。
最近でも、あるバンドのライブを見てもらいたくてホームページを見てもらったが、近日中にあるライブにたどり着く前に諦めてしまっていた。というのは、「知っている人にしかわからない作り」になっているのをウエブ担当者が気づいていない、からだ。
以前仕事で「ウエブ」と「紙」が分かれて、ウエブ側のデザイナーが紙にも関われば良いのを、発注側が心配してボクに依頼。つまり、誰でも出来るネット入稿の規定だと「紙」という実物に魅力を盛るのが期待出来ない、というような意味だと思う。仕上がり感は同じ紙、同じ様な写真、同じ様な色使い、であればサホド問題なく予想通りの仕上がりになる。が、「予想通り」=「見た事ある感じ」=「新鮮味なし」と記号化された部分=ウエブデザイナーが紙に弱い、と予想出来た、のではないか。
ボクが思うデザイナーの仕業ならば、効果ある仕上がり感までに様々な工夫があって仕上がり感に30%くらいの不安に似た「期待感」があってしかるべきだが、関係者が「失敗したら怖い」みたいな実験や「わからないことは駄目」で新しい事をしたがらない。
こういう範囲で仕事していること自体がボクの辛さを物語っているなあ。ボクと同じキャリアの人はほとんど、偉いデザイナーになってしまい、ボクの様な「現場主義」的な一番難しい現場にはほとんどいない。デザイン会社の社長、大学の先生、それに講師や専門家で雑誌やイベントに登場なんてのも多い。ボクも20年前にはほとんどやったが、今では「一(いち)デザイナー」。ディレクション的な立場よりデザイン的な立場で毎日が戦い、という現場なのである。
印刷所は、「個人情報保護法」で立ち会いが出来なくなっている。ということは、デザイナーは紙に印刷する時に「念」を入れにくくなっている、ということだ。執拗に印刷物に関わる事は出来なくなっている。
ならば、データに「念」を入れよう。まあ見てろよ。