水彩の時間軸


制作中のCDパッケージにも自分が描いた水彩画を使う事になった。最初から使う気があったわけではなく、音楽を聴いて撮影したメンバー写真見て、何となく絵を描く。
絵は絵を描くための道具がいつも出ていないと良くない。そのためにわざわざ道具を出すのに時間がかかり、描きたかった衝動が消えてしまう。予め描くために念入りに構想を練るモノもあるのだろうが、今までの自分の仕事を見れば見るほど、衝動が大事。衝動しかないような、逆に言えばその先の仕上げ方が重要なので、特に机2つは絵の具を出しっぱなしにして描いたモノをとにかく「ながめる」のだ。仕上げ方で「なんてことのないつまらない絵」「一見どうでも良い様な部分」がイメージになっていく。
一昨年のCDパッケージ(図版)を作ったあたりから加速度が増して、今は一日3-5枚を描く様にしている。この「Speechless」という作品はスタジオ録音された音源ではなく、ライブでの演奏をスタジオ作業で(観客や音などを消すのはもちろんのこと。)あまりコマーシャルなプロセスを経ないで感覚で仕上げている。なので、日本の音楽の大多数にあるところの予定調和のつまらなさ、退屈さがない。伸び伸びとした音楽の世界がそこにある。今までにあまり聴いた事の無い様なレベルの音楽に仕上がっている。特にギターの「閃き」と「確定楽器=キーボード」の不確定さのセッションは、自分が描いて作った「平面」にすごく近いと感じる。
コンピュータを有機的に使う技で仕上がっている。個人的にはインストアルバムに勝手に編集し直して聴いたりするが、アルバムの主題が消えちゃうから不思議だ。ここに入っている「歌」が主役なのだ。なので、このアルバムは国際的なカテゴリーは「ギターと歌=カントリー」になるらしい。
「絵」描くという意識がない。グラフィックの素材を作っている=新しい絵の作り方=自分を出したい、と思わない。写真家とは真正反対の作業と思う。
このジャケットの絵は薄い和紙に描いた「墨のにじみ=描き半分偶然半分」の裏側の「にじみ」と、もう一枚の「墨絵」と水彩(有彩色)の3枚をコンピュータで組み合わせているこの作業は1ヶ月ほどかかるが、正味は20時間ほどか。その作業の合間にイロイロできて必ず一度混迷する。いつ止めるか?が勝負と言えるなあ。それと音楽家に見せてから「形」に近づく。この絵もキーボード奏者が数案の中から選んでくれた。