色数は少ない方が良い

実家は文具画材店だったので、小さい頃から画材は周りにあったし、買いに来る人の中には絵を描いている人が多い。母親が近所の日本画の先生に習うことを決めてきたので仕方なく通っていた。今でも何を描いていたかハッキリ覚えている。小学校にあがる前だから5才くらいか。季節は夏。畳に大きなテーブル。座って「桃」を描いた。2Hの鉛筆でデッサンした後、着彩は透明水彩絵の具。今でもきっとそうだが、中学までは普通不透明水彩を使う。なので、薄く描いては乾かす。乾いては薄く色を重ねていく。正座して描いているから足はしびれる。「桃」だから、赤と橙を薄く描く。先生から「違う色を薄く重ねてみたら」と言われ青を薄く重ねる。今でも色の重ね方はこの頃と変わっていない。
高校の美術の先生は楽しそうに絵を描く人で、メロンの筋をケーキ用クリーム絞り器で描いていた。
先日、某師匠のブログで「色は少ない方が良い」というので、同じ様なことを考えているなあ、とシンクロニシティしてしまった。画材屋を廃業した実家から画材を引き取った中に大量のペンがあり、同じ色が多いのでその色だけで描いていた。選択肢が少ない方が絵は集中できるし、同時にいろいろやらない方が良い。
青島幸夫主演テレビドラマ「ながら君」は、発明家志望の青年で、毎朝、鏡に向かって自転車をこいでダイナモで発電しながら歯を磨く、というように何でも同時に行動する「ながら」君で、母親は「便利ねえ」でも、東大出の叔父は、「ながらはバカだ。」と言っていた。
頭の中を駆けめぐった、画材〜日本画の色の重ね方〜メロン〜色数少ない〜集中〜ながら君、というのが一瞬で出てくる。「自分という生き物自体が不思議でカワイイ」というフレーズが重なった。