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鬼籍に入った友人・知人・知り合いに先輩達。改めて感謝の合掌
トキオクマガイ(ファッションデザイナー)30代は早過ぎた。貰った「ピーターパンの靴」はどこかに消えちゃったけど、写真は残っている。レディーガガの「肉の靴」は彼のオリジナルかは不明だけど、40代ではもっと凄いのを作ったろうなあ。
ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン(パキスタン歌手)来日公演のパンフ制作があり。「作った人に会いたい」で楽屋で妻と一緒に会いに行く。10分ほどだったし、「本は素晴らしく非常に嬉しい。本国に持って帰りたい。」後で3人で記念写真を、でカメラにフィルムが入っていなかった。流石のボクもヌスラットには慌てた。
クボジョージ(元資生堂イラストレーター)平身低頭な大先輩との打合せの翌週に飲み屋で会ったら「大トラ」で、飲み屋のピアノに乗って暴れてた。翌週ポックリ。打合せの作品は出来ないままだった。
マキジュン(コピーライター)コピーライターブームの時のアイドル的若手3羽ガラスといえばINM(イトイ、ナカハタ&マキ)だった。3人ともお仕事ではご一緒させてもらったが、中でもマキさんは一番近かった。仲人まで頼んじゃった。その時のスピーチの書簡と結婚祝いに貰った時計、それに一緒に作った某学校の校歌が「形見」。会う度に「お前は凄いよ」って励ましてくれた。
スギモトエイスケ(コピーライター)ボクの4大師匠の一人。「お前は大きな仕事が出来ない」「音楽の仕事は小さすぎる。CDは3000円だろう?車は100万円を100万台売るんだぞ」「キミは繊細な仕事が上手いね」「面白いことを考えているねえ」天国と地獄に連れて行ってくれたが、出てくるのは言葉ばかり。3大コピーライターの上の天才レベルと思う時と半端な妄想男と思う時が半々。でも、師匠なんだな。
エイコイシオカ(スーパーアートディレクター)昨年のNHKドキュメントで情熱的な仕事を間近で見れたのもつかの間。この方は本当に日本の宝だった。うわべだけの事を一切言わない本物の仕事を同時代に見れたことに対する自分の答えはある意味逆で、「小さなモノへの愛を」であった。某新聞社のコメントで坂田栄一郎さん(カメラマン)のコメントは泣けた。ボクも「ひとりお別れの会」を実地します。