Origato Plastico

プラスティックスの再結成をしばらく経ってから知って、しかもボーカルのミカの後継が娘さんだったらしい、で30年経ったという懐かしさから意識がグッと変化したが、原因は何だろう?親の業種が若者の仕事(目標〜就職)への入り口であり、本当は何でも出来るのに世間を狭くしている時代なんだろうなあ、とか、親子関係がある意味で健全な家庭なのだな、とか、アーティスティックな意識もあったのだろうか。
NDC時代の入社直後にADのサイトーさんから「伊島薫が撮影したミカのポートレイト」という8×10のモノクロ印画紙プリントを見せて貰った。「俺は興味ないからあげる。」と貰ったプリントは今でも持っていて、80年代に撮られた未来的な雰囲気が当時の東京の業界の勢いを見せつけている、感じがした。
今時のアー写(俗称。「アーティスト写真」プロモ用ミュージシャン写真)の写真にない華やかさがある。写真はこういうブログには載せないけど、いつかこういうモノの展示なり書籍なりをまとめてみたい気持ちはある。
プラスティックスのライブにはそういう関係もあってイベントやら海外バンドの前座やら、で何度か見ました。B-52'sの意識に近い感じがした当時の重要なバンドだったと思うが、YMOが東京的だったのに対して、全国から集まった感じがしたなあ。それに音楽よりも音楽を含めた総合的な時代意識が表現の核になっていたから、今の時代で感じる部分とは少しばかりズレが出てくるのは仕方ないなあ。もう少し時間が経つと評価がガラッとかわるような気がする。

地方のデビューバンドと完全に違うのは、知り合いに撮ってもらうというカメラマンが世界をまたに活躍、とか業界通とかなんである。このジャケットも小暮徹さん。