HERSHEY

美大時代にデザイナーというとプロダクションでシャツにネクタイしているイメージだった。大手で4-5年経験して自分に合う業界の「顔」も出来て、有志と事務所なんかを立ち上げて1-2年は苦労しても3年目に大きな仕事で・・、って何となくイメージしてたけど、NDC時代はバイトを経て社員になっても、学生っぽくて大きなラジカセを作業台にのせて「Talking Heads」聴いていた。先輩の女性コピーライターに文句言われたり、プロデューサーに「若いねえ」と励まされたり。元気の良いアシスタントではあった。カッコは穴あきジーパンにTシャツ。皆がシャツにジャケットなのに公認されていたかも、って勝手に思いこんでいた。公立高校時代も学生服撤廃になって翌日平服着てきたのがボクだけで、この時から変わっていない感じだった。
自分でもよくわかっているし、NDCの先輩にも言われたが、「君は集団が嫌いなんだね」は理解しているし、デザイナーに限らず、自分がそういう立場から発想したり、作る根気が生まれたりするのは感じる。
デザインというのは単に技術のコースではなく、元にある「何か大事なこと」が関連している。石岡瑛子さんは戦後アメリカのチョコレートのパッケージを見て自分の中の何かが変わった、と言っていたのを覚えている。
それはHERSHEYのチョコレートの包装紙で、モーブ色の光沢紙にゴシック体の銀箔アルファベットがダイナミックで何か肉体的な魅力が爆発して今まで知らない世界が目の前に広がった、という感覚が「作る動機」になっていったのだと思う。
ボクにはそれがレコードジャケットで、石岡さんよりも現実味が少しだけ近づいてしまっている分だけ思いこみが弱い。同じ部分で言えば後輩は更に弱く優しい。
図版はクラシックないので、最新のHERSHEYとその日本版(日本の方に「オリジナルに対するこだわり感」が強い様にも思う。)