何を、どうやって、どこで。

前回のブログを読んだ「1995年のイベント」の参加者でもあった友人のシンガー(女性)から電話を貰った。彼女は、今回、自発的な救済イベントを考えているという。出来るだけ早く対応したい、場所もほぼ目処がついたらしいので、僕として「手伝えることがあれば、手伝いますよ」で電話を切ったが、彼女が(1995年のイベントは趣旨が)明快だったという「長田区の宅老所の壊れた家を直す。」に相当する目的を明確化するのに苦労しているようだ。確かにシンプルな呼びかけだったけど、時間をかけて議論すると、こういう問題は煮詰まることが多いと思う。
僕はあの時、テレビを見て、数日後にはイベント案を某大手イベンターに持ちかけていた。そこで、アメリカ人ギタリストと会い、彼と共同で開催がすぐに決定し、音楽だけでは成果は何も見えず、アート作品のオークションを立ち上げた、この時点で随分反対意見も出てきたが、ある種強引に進めた、告知もままならぬ内に開催、案の定観客動員は予想を下回ったが、ライブ演奏は素晴らしかった。どのバンドも澄んだ気持ちが全面に出ていて泣けた。嫌なこともイッパイあったけどやってよかった。それに、オークションは予想外の成果をあげた。僕の周辺のコネの集大成だったかも。精算に1ヶ月近くかかったものの屋根の工事費には足りた金額は生まれた。
この時のオークションで購入したという作品を大事に持っているという人に会うことがある。今考えると、「鑑定団」の比ではなかったように思う。援助には段階的に効果があると考えるから、自分たちの出番が今に来る。