1995-2011

1995年の神戸の震災の時は何かしなくちゃいたたまれなくてイベントをやって、そのお大事なお金を持って(250人のスタッフを代表して)一人長田区に行った。それから15年しかたっていないのに、お礼として歌ってくれたオジさんおばちゃん達の「歌」を忘れていた。しかも、今回は何をやって良いのか全くわからない。友人は明日から南の島に疎開するらしい。
同じく1995年のサリンが撒かれた数日後、まだオームが捕まる前。仕事場に「第2のサリン予告」というファックスが某大手百貨店経由で来た。業界人は知っていた、が怖かった。電車に乗れずタクシーで帰宅した。
今回の原発のことは最終的には何とか収まって次ぎの時代への新たな布石になることを信じている。が、周期が縮まっている災害の対策も今までのような中途半端な考え方では対応できないのではないか?温暖化との関連性や、地球全体の変化にも真剣に考えていかないとダメだ。地球が「生き物」だという事を忘れてはいけないんだ。本当は電気も石油もどの程度あれば良いのか?も考える必要あると思うなあ。
自分の停止していた思考が新しいバージョンになって近々出てきたような気がする。脈絡はうまく説明できないけど、思考の順位を書いてみるとこんなイメージ。こういう事からモノを考えていくと今までの場所での「考え」を認知できる場合があると思う。
1次元=点〜線=意味、2次元=線〜面=力、3次元=面〜塊=存在、4次元=塊〜時間=意志、5次元=時間〜経験=品格、6次元=経験以上の何か=情熱。今日はここまで。