Speechless CD & Live

Heatwaveのボーカリストでギタリストの山口洋とキーボードの細海魚の二人がアルバムを発表。彼ら二人が今年行ったライブの音源を元に作った音像。ライブでしか鳴らない音があった。そこから非音楽的なノイズを消す。そうすると、生きている音がまるでスタジオの白バックで撮影されたポートレイト写真みたいに予想しない状態でクッキリと浮かび上がる。粗くて繊細で抑え気味な音が「墨流し」の様な曲線で流れてくる。永遠と瞬間が交差する。これは生活に必要な最小な食料であり、味わい深い酒のようでもある。一歩進むと、その墨階調の平面空間にザラザラした素材の粒状物体が、なだれ込み、時に宝石のように輝く。
細海と山口とはある種「対」である。名前にも現れている。普段の態度も石と空気みたいに対称。奏でている音楽も別な場所で一見関係なく演奏されているかのような関係。最初二人に過わからなかった呼応したパルスが振動し、連動し、打って合わせて、ドームの様な空間を作る。僕らの「音」になっていく。
僕はインドの音楽が好きなのだけれど、セッションがまるで「男達の会話」という演奏を聴く。「今日、道を歩いていたら羽化した蝶が羽ばたいた瞬間に鳥に食べられた、のを見た。」「俺はこの前、蛇に生きながら食べられていく鳥を見ていた。苦しそう、というより、恍惚の状態に見えた。」「俺は一ヶ月前に蛇の脱皮を見た。恥じらいと恐怖感に蛇の繊細さを知った。」「俺は・・」と続く男の会話。僕にはこの会話に近い感触を感じるが、あくまで「日本的」。
先日、旧友のカメラマンにこの音を聴かせた。彼の洗練された仕事場で大きな音で聴いた。「音」は広がって、固まっていくのがわかった。僕の部屋で聴いた「声と風景」が逆転した配置になっている。これは音響システムの違いもあるだろうが、「音は聴かれて音楽になる」ということが見えた瞬間で、これを忘れたら面白くない。
1月に彼らのライブツアーが始まる。録音した場所から始まるのは、「会話」だから。