諸行無常2014

「ヘンな世の中になってきた」ってよく言うけど、世の中って確実に向上している部分とヘンになっていく部分があるのに、確認する様に時折言うよなあ、って思った次第。
世界を知れば知る程、日本は「辺境の地」であり、「最終文化の地域」を思う。ユダヤ文化やアフリカの事なんかは日本に住んでたら「そんなの関係ねえ」とかかもだが、そういう感覚こそが「辺境」だなあ。いろんなもの、モノや人や言語、それに情報や感覚なども「じょうご」の様に日本に集まって来る。これは「流体力学的物流」だと感じる。土地には相応しい物が育つのだが、それを取り合う。「性善説性悪説」が入り乱れ、力が生じて力学的に「上から下に流れる」その場所のひとつが「日本」なんだと感じる。
だから、「ヘンな世の中になってきた」は、上の方で乱れた、ある種無自覚な状態が、下では「関係ねえ」ほど客観的に、分析等しちゃって呑気に構えられる、って思う。

「昔はこんなに酷かった、のか〜」とか、知っているのか知らないのか、は問題ではなく「今はこんなに良い」とかの視点しか計測出来ない発言は今後控えるべきかと思った次第。
例えば、イタリアの山間の家族が言う。「家族全員が揃っての食事が生活の基盤だ。それなしでは考えられない。」これはある種の地方性が残った現代社会では理想的な生活だと思う。今の日本はこれからドンドン離れて行っているなあ。日本に限らず都市部では、戦前から、何か「駆け引きが生じた関係」が生活に忍び寄り、「真義は血縁ではなく、魂である。」って感じるオジさんであった。