手は顔か口か

手相は、「顔の相を見るキッカケ」で、手を診ている時に顔に表れる変化を突く、と言われるが、「手」にも「顔」があるんだな。ニック・ケイブという音楽家にインタビュー取材の時に彼が「作り手は2種類、手の大きな人と小さな手。小さな手は作り込みの手で、大きな手は楽観的な指向だ。」みたいな事を言っていて、「俺は大きな手だ。デイヴィッド・バーンは小さな手。」と名指ししていた。言いたい事は理解出来るけど、結局は自分の事だった、か。
よく「手」を見る、と前に言ったけど、手に全神経を集中させて作業すると、手に脳があると思うときがある。先輩には「手で作るな、ハートで作れ」とか言われたけど、その先輩は大きくて、指は細く、デザインや食事程度しか手を使っていない手だった。DJのエーフェックス・ツインと握手した人が「ゼリー状のフニャフニャした手だった。」と聞いたけど、両者とも専門的な機械の一部としての「手」の「柔らか部門」かもなあ。
農業関係の人は「横広」の頑丈な手を持つ本皮みたいな「外側堅さ部門」だったし、格闘家の人は「骨太」の「内側堅さ部門」だった。
「手相」という「占い」は、人の心理をついているだけで、誰も信じていないのだろうけど、いざ「貴方は優しい人ね。」と言われた途端、「そんなんですよ。」となる。
人間の手とはこんなに凄いという演奏がコレだな。ジョン・マクラフリンがマハビシュヌ・オーケストラ後に結成したSHAKTIというインド人3人と組んだバンドの「La Danse Du Bonheur」という曲。スピーク・イン・タングス(楽器の演奏を口で喋る)で始まり4人が絡み合う演奏は圧巻。バイオリン、タブラ、ガダムにギター。ライブ盤「A Handful Of Beauty」でも聴けるが、BBCの「ジョン・ピール・セッション」に出演したときの演奏はこれを遥かに凌いでいた。
特にタブラの神懸かり的な演奏は、有無を言わせない「境地」を感じる。個性の強い4人の会話の様にも聞こえる。哲学の対話。つまり、手で会話しているのだ。

BBC Radio-1「ジョン・ピール・セッション」の1970年代の出演リスト
http://www.bbc.co.uk/radio1/johnpeel/sessions/1970s/

タブラ奏者のザキール・フセインはサッカーのメッシ選手に通じる物を感じる。本当に凄い人は難しい事を言わない。