音楽を過剰にしない

幕の内弁当。たまには良いんだけど。「一つのオカズ」では飽きるし、イッパイあるのが良い。季節の趣や栄養のバランスっていうけど、それは普段の食事のバランスであって、特別な席では、時期や場所を満喫したい。まあそういう店を探せば良いんだろうけど、多数派がそうだからつまんない、という話であって、音楽や絵画やテレビ番組や映画や、あげたら切りがない程皆「戦後ニッポン総幕の内弁当化」してしまった。
これからのスタンダードは、「単なる西洋スタイルの模倣や、ひとつ上のレベルにすれば良い(竹から梅)」ではなく、季節感と地方色の個性化を自信を持って計りたい。料理に例えるのは、話が長くなるので避けるとして、音楽で言えば、一曲にいろいろな展開を盛り込みすぎる。これは土着な「幕の内弁当的な音楽貧乏性」の現れ。個々も弱いし全体でもピンとこない出来になっている。ダニエル・ラノアの音楽を聴いていて、小さい音もハッキリ聴こえ、大きな音も美しい。展開も多くを押し付けず物語のひとつに多くの感情が入っていて、デリカシーのある変化に入り込み長い曲もあっという間にアウトロを迎える。