日本語のリズム

かつて「日本語はロックのリズムに乗るのか?論議」が真剣にあったんだよね。それまでは英訳歌詞を英語風に歌ってた時代があり、(要「漣健児」研究)それを経て「はっぴいえんど」があり、海外体験や英語が話せる人も増えて、そういうコンプレックスからも解消され、日本が日本語らしく時代の音楽に溶け込んで行く、ということが自然にあったわけだけど、韓国のロックやアフリカのロックを聴くと、今更ながらにあの時代に語っていた「ニホン語は〜」に思いあたり、またまた自分の中で再燃した。
確かに不自然さはなくなったけど、日本語の持っている(言葉の)語感が、リズムやメロディによっては無理がある、と感じる事がある。音楽に言葉の壁はないと言うけど、壁ではなくて違いは確かにある。
例えば、と言ってわかり易い例は出せない事はないけど、ここでは辞める。「サビ」だけ英語になっているのは、こういうことの端的な例。
日本語で言葉自体にロックを感じるという人は確かにいる。(韓国にもアフリカにもいる)だから、言葉を紡ぐ時に歌謡曲として受け入れられるのか、ロックになって作品として完成するのかは、悩む部分だと感じるなあ。作る方ではなく聞く方として感じるのでミュージシャンには言っても中々通じない。
ユッスー・ンドゥールセネガル)の音楽は初期はアフリカの民謡みたいだっけど、次第にハイパワーなロックになった。ポリリズムのフランス語でも「そんなの関係ねえ〜」って感じだけど、「そんなの関係ねえ〜」なのがロックなんだろうな。

アフリカの土着で進化した音楽とアメリカに渡ってブルースから進化した音楽の共通性を発見した。それは「宇宙的」であることだ。これに閃いた時、James Brownがアフリカに降り立った映像が頭に流れた。(笑)
アフリカでも「フランス語はロックのリズムに乗るのか?論議」もきっと(小さく)あった筈だ。:)