Super Art Director

石岡瑛子さんが亡くなった。石岡ファミリー出身として「巨星落つ」の心境。石岡さんは1938年生まれ。最初にお見かけしたのは、お父様の葬儀の時だった。お父様も意匠家、つまりデザイナーだったと聞いた。葬儀はボクの品川の実家から近いお宅で、であった。葬儀の長い行列に並んだ。ボクの前に角川春樹さん、後に内田裕也さんであった。テレビで知っている人達の中に入って若輩者はウロウロするばかり。
終戦を7才で迎えた。といことはどういうことなのか?ボクには何もわかっていないが、想像を絶する試練を乗り越えてきたのだと思う。それまでの軍国主義から、急にアメリカナイズしていく開放の時代に、アメリカに向いて、その先に理屈抜きに「未来」を見て頑張っていく。情熱的な方が多いのもそういった時代を経てきたからか。この年代の凄い方々が相次いで亡くなっている。今はそういう時代なんだ。
明治生まれがいなくなっていくのと同じようなある種の転換期と感じている。
それから、高度成長期に大人になって、仕事自体が「大きい」時代を少数の人達で社会を引っ張っているそのトップを走っていたデザイナーの実感は僕らとはだいぶレベルが違う。
レニ・リーフェンシュタールタマラ・ド・レンピッカとの仕事から、マイルス・デイビスのジャケット制作でグラミー賞、コッポラ映画でアカデミー賞。最近でもミュージシャン,ビョークスパイダーマンの舞台でのキャラクターデザイン制作、映画「セル」「落下の王国」での美術制作で圧倒的な世界観を創造していた。オリジナルかつ独創的であり、時代への意識を軽く超えた。グラフィックデザイナーとしては憧れる理想的な生き方と思うけど、こういうことは本人しかわからないくらい簡単じゃないことだと肝に銘じてます。合掌。