映画は夢

何故、映画は作られ、また何故見るのか? そして、今まで映画というものをどのくらい見たのか?
ボクのオヤジはよく言っていた。「若い頃は楽しみは映画しかなかった。」貧乏だった子供が、どうやったら映画を見れるのか?ということばかり考えていたという。「出口から入った」とか、「一回入ったら何回も見る」らしい。今で言う「入れ替え制」はなく、映画館にいるのが楽しかった、という。有名な話で手塚治虫さんが「ディズニーの『バンビ』を公開初日から朝から終演まで14日間通った。」とか。それほどまでして見る映画があるということ自体が今となっては羨ましい。
時代と共に生きてきた映画だが、何度かの時代という階段を上りながら今に至った。「動く写真」ということ自体何もかわらない映画だが、進化してきて今に生きているわけで、勝手な進化論。
1_写真が動く〜編集して物語を見せる(無声映画時代)
2_写真と同時に音が付いて現実味を持つ表現も可能に。
3_カラー(総天然色)になって表現力がダイナミックに。
以上。「シネラマ」も「ボディソニック」も「3D」も「匂い付き」も、カテゴリー3のまま。大きくは変化無しでオマケが付いただけと言える。大きく階段は3段だったが、3段目は平坦ではなかった。長い一本道だった。
映画は新しいものが次々に生まれ、昔の人気作品はメディアを替えて生き残り、人気の無いものは消えていく。誰かが考えてものが動いているわけではなく、感覚の中で生まれては死んでいく様な、そんなジャンルなのである。
映画業界で、企画〜撮影〜編集〜試写〜公開〜DVD販売〜名作になって「あの作品に関わっていたんですか話」遭遇〜「昔そんな作品あったんですか?話」という典型的な流れを幾度となく経験していくと、映画関係者には、他の業界を全く知らず、しかも本業である映画をよくしていこうと思っている人は「ごくわずか」で、0.1%もいないだろうということがわかる。これは他の業界でも充分当てはまる。
特に最近で一番驚くのは、10年前のビデオに入っている「予告」が、自分が知っている筈の有名な出演者や制作者によって作られた全く関知しない作品があったりすることだ。10年前と言えば、2001年だ。消費される映画にもはや「消費」というより、SFに出てくる「ジャンク」(廃材の山)をみる想いがある。