パブロ・ピカソ

日本で大ピカソ展が1977年にあり、トビカン(東京都美術館)に行った。学生時代にトビカンで働いたこともあって裏まで知っていたのだが、美術館は人が入るとまったく違う場所になり、しかもピカソが多く展示されて、ピカソが作った空間というのは、イヤ違うなピカソが作った訳じゃない、ピカソの作品が並んで出来る空間が建物、イヤその周辺、つまり上野周辺さえ違う場所になっていた。
大先輩のデザイナーがこの展覧会を見て、スイッチが入り絵描き宣言をした。(当人曰くデザイナー廃業宣言はしていない_流石)多くの人が入る展覧会には滅多にいかない。何故なら「絵を見る」より「絵を見ている人」を見るしかないから。(「ツタンカーメン」と「モナリザ」は小さかったから連れて行って貰えず。)でも、ピカソだけは絶対に現物を見たかった。で、行列に並んで作品を見た。僕的には先ず量が凄いと思った。死ぬ直前まで大きな絵を何枚も描いていたヤツとはどんなヤツだ?と思っていると、絵の余りの凄さに呆然としている人もいたし、「泣く女」の前で大声出して泣いている女性を見た。
当時買った目録を見て思い出したのだが、大量に絵を見せる迫力は見せる前から計算できないだろうが、描いている内に貯まって、絵の「見所」になっている部分を考えると、絵は「量」が有った方が良い。1点だ見たってわかんないってヤツだ。いろいろな見せ方をしていたピカソは、写実的で如何にも上手いという絵もあれば、「絵なんて楽な方が良い」ってのもあるし、反戦や人間の本質を描いたのも強いし、見ると凄く人間的で、見ている内に段々絵を描きたくなくなる。でも本当のところは(一度言ってみたかったのが)「誰でも画けそうな気になる」というところもあるし、絵を描きたくなる気分にしてくれるところが一番凄い。