21世紀サティ

ここ数日サティばかり聴いていた。バレエ曲「パラード」はジャン・コクトー作、サティが音楽で美術と衣装をパブロ・ピカソが参加。当時のパリで芸術的なエンターテインメントの先端にあったものと思う。もっと歴史的には評価されているものは数多くあれども、こういうモノが残っていく。しかし、当時(1917年)の舞台を記録した映像がないから想像するしかない。
最近のアートスポーツサーカス(シルク・ド・ソレイユなど)までに続くエンタメの原型だ。共産党員だったサティはこうしたアッパーな人達が多分好きじゃないし関心もないだろうから、ひとり違う「朧気な欲望」にかられていたのではないだろうか。あくまでアンダーグランド的なスタンスを持った継承が純正な継承でより属さない孤立した存在を認めた筈だ。
コクトードビュッシーの様な人達にリスペクトされてギリギリやっていたサティが年齢毎に何を作ってきたのかが非常に気になる。「ジムノペディー」は20代で作った曲だし、この「パラード」は50才になってからの吹っ切れた感が複雑な印象を与える。ドビュッシーが編曲した「ジムノペディー」で感じるのは、偉くなっちゃったけど「人間偉くなっちゃダメだ。」と言っているみたいだ。

自画像。ピカソコクトーもサティを描いている。